ひと息の森


ひとりぼっちの底

 みんなぁヤッホー。こっちはすっかり暖こうなって春の到来に浮かれちゅうよ(^^)🌸桜があちこちできれいに咲いちゅう。

 今日もひと息の森へ来てくれてありがとう。管理人のユウです。今回は少し重め?暗め?なお話をします。無理せず読み進めてね。けんど同時に安心感も感じられるがやないかなぁと思います。ゆっくりくつろいでいってね。

感情の激流に流される感覚

 みんなぁはどんなこどもやった?何を感じて、どんな風に世界を見よった?

 最近わしは「今、ここ。に集中」「今すでに在る幸せを感じる」のようなワークをやったりするがやけど、その時「あ、こどもの頃ってこんな感じやったなぁ」とよう思います。今という瞬間にギュッと全てが詰め込まれて満ち満ちちょって、世界は煌めきに溢れちゅう。こんな感覚でおれる時、安全で安心で、自由でどこまでも行けて何でもできる、そんな気分になります。

 基本的に楽しかったこども時代*(*ここでは生まれて〜小学校卒業までくらいのイメージ。)でしたけんど、時にはものすごう悲しかったり、突きつけられる理不尽さに全身がブクブク沸騰しそうな程の悔しさを感じる事もありました。
 その事の詳細については今後話せる範囲を少しずつブログに書いていけたらなと思いゆうがですけど、ここでは省略して、「こどもの声に耳を傾ける事ができない大人からの理不尽な圧力」と表現します。

 そういったものを突きつけられる事が繰り返しあって、その度に「どうしてわかってくれんが」と全身の血が赤い炎になったように怒っちょったし「味方がおらん。」と身が切れるような悲しさを感じよった。

 そんな時にひとりで泣きじゃくりよった。ものすごい勢いで怒り悲しみ悔しさ大人や世界を疑う感情が流れよった。体は煮えたぎるような感じがするし、世界中のすべてに対して文句を言いとうなるような気分。あらゆる感情が荒波をたててじぶんの周りを渦巻いて猛スピードでどこかへと流されて行く感覚。苦しい。悲しい。つらい。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。……

 ……けんど、毎回気が付くとゴウゴウとザァーザァーと嵐のような感情の激流はいつの間にかじぶんをどこかへと到着させる。ものすごく静かな場所に。

静かな底

 そこは静かで、なんにもなかった。感情に押し流されてひとりぼっちで辿り着いたその場所は、身ひとつで素のまんまのじぶんがおった。日常という地上から離れて、深く深く溺れていくようにして沈んで行ったら、まるで底までたどり着いたみたいやった。色んな感情を味わった末に底という極限まで来たら急に吹っ切れてきて、心の中に穏やかな凪が生まれた。周りになんにものうて静かやきか、他のものに気を取られんと自分自身の根底の声が聞けるようやった。そうして自分と対話した。何かしらの答えなり、その時のじぶんを納得させる何かを得た。地上まで再び戻ってきたら大概忘れてしまうけんど。

 沈みきったどん底はすごく穏やかやった。

 なぜか安心した。美しい場所やった。

 神聖さを感じさせるような静けさやった。

 底に行き着く度に“何か”を得る。得たら下向いちょった気持ちも自然と上を向く。上を向くと海面の方にきらめく光が見える。溺れよった時は流されるがままやったけんど、底に足が着いちょったらじぶんの意思で進む方向を決めれる。考える間もなく足は底を蹴って光の方へ向かう。そうしてまた日常へと浮かび戻っていく。

同じ感覚の人がおった!

 こどもの頃から繰り返しじぶんの身に起きた「気持ちがグチャグチャになって泣きじゃくる→感情が落ち着いて元気を取り戻す」を比喩的に表現すると上記したような、海の底へ潜って行く探険のような情景がありました。もちろん当時はこんな風に言語化したりイメージを整理したりはできんかったけんど。

 この体験はとても個人的なものやという風に漠然と感じちょった。だからこそ、同じような心象風景を持っちゅう人の存在を知った時は、もう、「!!!!」驚きでいっぱいやった!「ひとりじゃなかったがや」と思うて、体中にジーンと振動が駆け巡った。それは一昨年2022年11月のことやった。読んだ本の中で出てきた言葉。

ひょっとしたら、あなたはまだ本当のどん底までは行ってないのかもしれません。例えば、私たちは海で溺れたとしても、足が底につけば安心するじゃないですか。跳ね上がることもできるから。でも、底がどこかわからないと、その恐怖感は大変なものでしょう?いっそのこと、落ち切ってみるのもいいもしれません。

(引用)──ペク・セヒ『死にたいけどトッポッキは食べたい』152ページ 12章心の底で──より

 この、「溺れゆう時は不安。怖い。けんど底まで行って足が着いたら安心する。」ゆうがにめちゃめちゃ共感しました。溢れ出す感情のエネルギーに反発すればするほど苦しゅうなる。じぶんの経験からの学びがまさにそうでした。あれだけ抑え込もう、無かったことにしよう、と躍起になった感情たちを受け入れ始めたら、ビックリするくらいじぶんの味方になってくれるがです。この話もまた詳しゅうに書きたいな!

 ずっとじぶんひとりだけのものと感じて誰かと共有するがはとても難しいと思うちょった感覚が、「おんなじ人がおった!」と知れた瞬間。他の人が語ってくれたおかげで、じぶんの中の感覚ももっと鮮明に捉えれるようになった。じぶんと同じもんを持っちゅう人が「ここにおるよ」と発してくれたおかげで、それに共鳴したじぶんが「ここにおるがや」と気付けた。この本のはじまりに出てくる言葉が好きやき紹介するね。

ほら、私、ここにいるよと、力いっぱい手を振ってみようと思ったのだ。誰かが自分とよく似た私のサインをキャッチして、こっちに来て一緒に安心できたらいいなと思う。

(引用)──ペク・セヒ『死にたいけどトッポッキは食べたい』5ページ はじめに──より

 本を開いてこの言葉と目が合うた瞬間、すごくいいなと愛おしく思いました。そして真似したいとも思うた。このブログを始めた理由の1つです。みんなぁに手ぇ振るつもりで書きゆうよ。やっほー。
ヾ(^^)ノ゙

 そしてこの潜水していく感覚を認識しちゅう人がまたもう1人おった!こちらは動画での出会いでした。

八ヶ岳の魔女メイさんのカードリーディング動画より。ご自身で描かれた『潜在意識』のカード、「あぁこんな風に表現できるがや」と心揺さぶられました。

 「ネガティブな感情が潜在意識に連れてってくれる」そう。これなんです。そして深く潜った先には真実や宝があるということにもめちゃめちゃ共感しました。

 「こんなことを感じたり思いゆうがはじぶんひとりだけやないろうか」と思いよった頃は、じぶんの感覚も思いも疑っちょって信じて認めてあげれんかった。この心の潜水の話に限らずね。「同じ人がおる!」そう知った時、存在を認めてくれてありがとう、と心が温もった。メイさんの絵と言葉を見たり聞いた時、じぶんの経験を愛おしく感じた。絵のちから、言葉のちからってすごい。

 あの苦しかった感情の激流も、この地球に生まれてきて体験したかった学びを与えてくれたがやと、その旅の案内人を務めてくれたがやと、今は自然と感謝の気持ちが浮かび上がってくる。(でもやっぱり地球上で生きるの大変やき、今でも「なんで!」ってなる。しょっちゅうなる。感謝することと反発しとうなること。受け入れることと拒絶しとうなること。どうやらこういうのって同時に起こり得るみたい。)

集めてきた宝物

 ひとはみんな冒険者。 ずぅっと長い間忘れちょったけんど。

 みんな勇敢に地球に飛び込んでやって来た。

 暗闇の中で光った宝物。いつの間にか拾っちょった宝物。

 お祝いしよう。宝物見つけたこと。

 語り合おう。それぞれの冒険をしてきたこと。

 みんなの宝物あわせてキラキラの世界つくろう。

 そんな想いでカテゴリー「海底の宝物拾い」を書いて行くでぇ!
 ずっと間違った方向(暗いどん底)へ進みゆうと思い込んじょった落ち込みは、わしの冒険やった。無力に流され溺れよったがやのうて、勇敢に真実の学びを獲得しに行きよったがやった。ネガティブな感情は宝のありかの手前まで連れてってくれる味方やった。きっと得た宝は思っちゅうよりもどっさりある。(“どっさり“はもしかして土佐弁?“たくさん”ゆう意味ね。)
 ちょっと水圧とか重力を感じて気軽なテーマではないかもしれんけんど、陸とか浅瀬に疲れたらここがあるきね。

 みんなぁの冒険を応援しゆうよ!近い未来、宝物持ち寄って約束の場所で会おうね!

おまけコーナー【本日のやったー!】

 今日は「秒数指定してYoutubeの動画をシェアする」に初挑戦しました!またひとつ新しいことを覚えました。素人の手作り感が味を出しているひと息の森ブログも着々と育っていっています。今後の変化もお楽しみに!


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